
【きっかけ】合成甘味料から天然甘味料へのシフト、時代背景
ステビアの事業展開は、合成甘味料であるサッカリンが発がん性の疑いが有るとして一時的に
販売禁止になり、人工甘味料しか使われない食品では使用できる甘味料が無いと言う問題が有り、
ステビアが認知され始めました。
昭和46年5月にステビア甘味料商品化の背景
戦後、人工甘味料メーカーとして事業展開を図ってきた会社であるだけにズルチン、チクロと
人工甘味料が発がん性の問題から禁止になり、安全性に問題がない天然甘味料としてステビアの存在を
知り、パラグアイから乾燥葉を輸入し、甘味料としての取り組みを始めました。液体品のステビアを
1971年に発売したのがステビア甘味料の最初であります。
事業立ち上げ時のメンバー
立ち上げ当時はステビアに関する情報が少なく、同時に非常に高価な
乾燥葉でもあり、精製と言うより、ステビアエキスを甘味料として
使用していました。
さらに、販路を広げる為に精製して、着色、においを改善した
ステビア甘味料の製造をスタートすべく、新見工場を建設することに
なりました
営業体制 | 当初2名体制 |
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工場体制の確立:工場メンバー
【昭和52年】ステビア抽出工場完成
工場の建設と並行に精製技術を開発すると言う綱渡り的な計画でしたが、世界で初めてのステビア専用工場 としての新見工場は研究室のビーカー試験から即生産レベルに拡大すると言う冒険的な計画でしたが、順調に 稼働出来たのが現在の工場となります。
生産体制 | 当初12名体制 |
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特許体制の確立:特許連携について
特許戦略の元々の始まりは現在で言うレバウディオサイドAの発見とその特許申請に始まります。当初は
近畿大学との共同研究でレバウディオサイドAの構造研究を行い、広島大学と同時期に完成しましたが、
当社は特許出願、広島大学は学会報告とそれぞれ公表する方向が違っていましたが、広島大学田中教授の
要請もあり、名称を統一した経緯が有ります。味質に優れたステビア甘味料に関する出願がほとんどで
ありますが、守田品種の判別方法に関するものもあります。国際特許での出願も積極的に進めており、
高い水準での知的財産保護強化を図っております。
▪ 昭和49年10月 大規模栽培成功 場所は日本からスタート
▪ 昭和60年1月 海外での栽培進出。インドネシア滞在や南米等の開拓
▪ 栽培適地
ステビアの栽培方法は原産地のパラグアイでは非常に難しいと聞かされており、ステビア乾燥葉1kgと
コーヒー豆1kgが同じ価格と言われていました。
ところが、乾燥葉に入っていた種子から日本で栽培すると非常に生育が良い結果が得られました。
ステビアがキク科植物であることから高緯度の日本の気候に適していることも判り、九州で栽培を
始めましたが、契約が実行されず独自で栽培地を開発する方向に転換し、四国、北海道での栽培を
始めました。当初は稲の転作作物として喜ばれましたが、転作が緩和されると栽培農家が減少し始め、
同時に品種改良に成功し品種特許が成立した段階で海外での栽培を始めました。
他社が韓国、台湾、中国での栽培を始められていましたが、当社はタイで新品種のD栽培を開始し、同時に
ポカリスエットステビアが販売されると共にさらに原料確保の必要性から栽培試験をインドネシアで始め、
様々な国で行い滑走路の無い土地にも出向きました。最終的には当時最も生産価格が安い中国に移行。
今では20数年中国での栽培を継続しております。認知度の高い飲料や食品での採用によっても知名度が
上がってきました。
品種改良がさらに進み、特許成立に応じてブラジルでの栽培を行っております。
新規配糖体の発見について
レバウディオサイドAの甘味倍数、甘味質の良さは良く知られていましたが、ステビアに含まれる甘味成分は苦みのあるステビオサイドが7割、レバウディオサイドAが3割程度含まれていましたが、レバウディオサイドAの含量に着目して品種改良を継続して行い、レバウディオサイドA主成分の品種を世界で初めて開発しました。
レバウディオサイドA品種の開発が現在のステビア市場を変えたと言えます。
同時に品種改良を継続して行っており、収量性の優れた品種も開発すると共にステビアに含まれる
微量成分の研究を福山大学と行い、更に味質の優れた甘味成分を発見し特許を得ることが出来ました。
これら品種改良とそれらから得られる甘味料が現在のステビア市場を拡大し、更に大きな市場を作り出す
ことになると期待しております。