JP
1949年の守田化学工業所としての創業時には人工甘味料「ズルチン」を生産する企業として創立。当時先代社長守田嘉一「やれば出来る」と言う信念を持ち、その信念の基に会社経営をスタート。「ズルチン」の製造販売のために守田化学工業所を設立し、その後1960年に株式組織に改組して「守田化学工業株式会社」を設立。
1949
1971
戦後、人工甘味料ズルチン、チクロの甘味料メーカーとして事業展開を図ってきた会社であるが、人工甘味料が発がん性の問題から禁止になり、安全性に問題がない天然甘味料としてステビアの存在を 知り、パラグアイから乾燥葉を輸入し、甘味料としての取り組みを始めました。1971年当初のステビア甘味料の発売が最初であります。
1974
パラグアイから輸入した乾燥葉に入っていた種子から、苗を確保したのが始まり。パラグアイは暖かい気候であると考えられて九州宮崎、鹿児島県で栽培を始めたが、品種改良により北海道での栽培にも成功したが、農家減少により、植物特許を取得していた事からタイ国で栽培を開始。
1975
立ち上げ当時はステビアに関する情報が少なく、同時に非常に高価な 乾燥葉でもあり、精製と言うより、ステビアエキスを甘味料として 使用。 さらに、販路を広げる為に精製して、着色、においを改善した ステビア甘味料の製造をスタートすべく、新見工場を建設することに なりました。 【営業体制2名からのスタート】
1977
1978
世界的にステビア事業が拡大したのは守田品種として「レバウディオサイドA」高含有品種を開発したことが世界でステビアが使用されることになった。 品種改良は「ステビオサイド」と「レバウディオサイドA」の比率が5:5の品種を開発し、レバA5シリーズとして栽培・商品化し、その後「レバウディオサイドA」の比率が高まり、「A7シリーズ」「A9シリーズ」として商品化して現在の基礎ができる。
1985
タイ国での大規模栽培に始まり、より単価の安い中国へと転戦して行きましたが、東南アジアの韓国、ベトナム、ネパール、インドネシア、台湾、中国をはじめ南米はメキシコ、コロンビア、ボリビア、ブラジルでの栽培試験を行いましたが、気象条件、栽培規模、単価などで適地が無く、当時国家政策としての「ステビア栽培」が推奨された中国での栽培が主体となる。
1990
2000
2015
2022~